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聖書豆知識

この人も読んだ聖書 山崎製パン創業者 飯島藤十郎

山崎製パン株式会社(日本国内パン売上高シェア1位のパンメーカー)の創業者、飯島藤十郎はクリスチャンでした。彼が教会で洗礼を受けた11日後の1973年7月26日、山崎製パン最有力工場の生産設備が火災のため全焼します。火災の翌日、彼は教会で次のように祈りました。「この火災は、ヤマザキがあまりにも事業本位に仕事を進めてきたことに対する神の戒めです。これからのヤマザキは、神のみこころにかなう会社に生まれ変わります。」

今年1月に起こった能登半島地震の際には、山崎製パンのトラックが大量のパンを積んで被災地入りしました。「神のみこころにかなう永続する事業の実現を期す」という経営基本方針は今も受け継がれているのです。

この人も読んだ聖書 山崎製パン創業者 飯島藤十郎

この人も読んだ聖書 ヨハン・セバスティアン・バッハ

Johann Sebastian Bach 1685〜1750

J.S.バッハはドイツの作曲家、オルガン奏者です。日本では西洋音楽の源流として「音楽の父」と称されています。
彼の活動の大部分は教会音楽家としての働きでした。マルチン・ルターの200年後に生まれた彼は「音楽は神学に近く、音符が言葉を生き生きとさせる」と説くルターの教会音楽論に根ざし、牧師が礼拝説教の準備をするようにして、聖書の言葉を礼拝音楽に仕上げたと言われています。その一例として上げられるのが、代表作の一つ 「主よ 人の望みの喜びよ」 です。楽譜の三連符は「父なる神・子なるキリスト・聖霊」の三位一体の神を表し、曲の出だしの一拍目の休符は、次のように語られたキリストを示すと考えられています。『すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』(聖書)

この人も読んだ聖書 ヨハン・セバスティアン・バッハ

この人も読んだ聖書 森永製菓創業者森永太一郎

森永製菓を創業した森永太一郎氏は1865年、今の佐賀県伊万里市の陶器問屋に生まれました。陶器商になり24歳の時に渡米して事業をしましたが失敗。クリスチャンの夫婦に雇われながら製菓技術を学びました。そこでキリスト教の教えに触れ、キリストの十字架上での、罪人へのとりなしの祈りに感動し、キリストの復活に驚きます。そして、信仰告白に至り、帰国して伝道を始めますが受け入れられず、再度渡米して洋菓子作りを学び直します。再び帰国した森永はガラス張りの屋台に「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」と掲げ、伝道のための資金集めとして洋菓子の販売を始めました。エンゼルマークのキャラメルは爆発的な人気となり、大会社へと発展しました。

この人も読んだ聖書 森永製菓創業者森永太一郎

幼子イエス:クリスマスの主人公、イエス・キリスト

今から2700年ほど前、紀元前8世紀半ば頃、イザヤという人が次のように預言しました。『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。』『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。』

そして740年のち、この預言は成就しました。イエス・キリストのご降誕です。それは神が歴史上はじめて、この世界に介入された瞬間でした。これがクリスマスです。

幼子イエス:クリスマスの主人公、イエス・キリスト

聖書パノラマ バベルの塔

世界には数多くの言語があります。しかし、ノアの洪水で生き残ったノアの家族から子孫が生まれたころ、全地は一つの話しことばでした。彼らはティグリス川とユーフラテス川の間に、町や塔を建てるのに良い平原を見つけると『さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。』と言いました。神はそれを見て『彼らが…このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない…彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。』と言われました。バベルとは(混乱させる)という意味があります。彼らの傲慢のために言語は混乱し、人々は地の全面に散らされたのです。

聖書パノラマ バベルの塔

麗しい都 イスラエル紀行(4)エルサレム

旅のハイライトは世界三大一神教の聖地エルサレムです。東のオリーブ山から周囲約4㎞の城壁に囲まれた旧市街を眺めると『麗しさの極みシオン』の聖書の言葉が重なります。正面に輝くのは、七世紀末からあるイスラム教の「岩のドーム」です。そこは三千年前にダビデ王がイスラエルの首都と定め、息子ソロモンが神殿を築いた「神殿の丘」と呼ばれる区画です。キリストが『どの石も…残ることは決してありません』と語られた神殿は、紀元70年ローマ軍によって破壊されました。唯一残っている南西の神殿の壁を外国人は「嘆きの壁」と言い、ユダヤ人は「西壁」と呼び、民族の拠り所となっています。今は誰でも祈ることが出来る場所です。石の壁に手を置いて祈ったひと時は私の大切な思い出です。

麗しい都 イスラエル紀行(4)エルサレム

耳を澄ませば イスラエル紀行(3)ガリラヤ地方

イスラエル南部で砂漠気候を体感し、酸素と塩分濃度が高い死海で旅の疲れを癒した後は、緑豊かな北部のガリラヤ地方が次の訪問地です。ここは、イエス・キリストの宣教活動の中心地です。死海から100㎞ほど北にガリラヤ湖があり、その北西岸にはキリストの説教や奇跡に因んだ場所に、古くは4、5世紀から教会が建てられています。

五千人の群衆に食物を分けた「パンと魚の奇跡の教会」、キリストが復活後、漁師に戻った弟子たちに現れ、ペテロに『わたしの羊を牧しなさい』と語られた「ペテロ召命教会」、『心の貧しい者は幸いです』で始まる八つの祝福を語られた「山上の垂訓教会」などです。湖からの風を感じながら聖書を開き、キリストの声なき声に耳を澄ませば、タイムスリップして群衆の一人になったかのようです。

耳を澄ませば イスラエル紀行(3)ガリラヤ地方

洞窟で証明された イスラエル紀行(2)死海周辺

地上で一番低い場所、海抜マイナス430mの死海。その西側の中央付近に大小の滝や緑が美しいオアシス「エン・ゲディ」があります。ミケランジェロの像で有名なダビデが、イスラエル初代の王サウルに命を狙われ逃亡した際、手中にあったサウルに手をかけず王への忠誠心を示したのは、ここ「エン・ゲディ」の洞穴での出来事でした。

死海北端近くの「クムラン」は“死海写本”発見の地です。1947年、羊飼いの少年が壺に入った二千年前の巻物(聖書の写本)を洞窟の中から発見しました。それまでは11世紀の写本が最古だったため、イエス・キリストの誕生を預言した聖書箇所は、キリスト者が書いたと思われていました。この20世紀最大の考古学的発見により、その誤りが覆ったのです。

洞窟で証明された イスラエル紀行(2)死海周辺

古くて新しい国 イスラエル紀行(1)

飛行機で約14時間、イエス・キリストの生誕地イスラエルを訪問する機会を得ました。

四国ほどの面積に950万人が暮らしていて、その四分の三がユダヤ人、あとの四分の一ほどがアラブ人です。国内外に深刻な問題を抱えつつも、中東では唯一の民主主義国家であり、主要産業は高い食料自給率を支える農業とハイテク(先端技術)産業です。東京2020オリンピック・パラリンピックでは、サイバーセキュリティーの強化に協力したり、東日本大震災時には海外からの医療支援チームとして最初に来日するなど、高度な技術で活躍しています。

テルアビブの空港に到着後、車で1時間少し南下すると、イスラエルの父祖たちゆかりの地ベエル・シェバです。数千年前の遺跡の丘から高層ビル群の現代の都市を眺めると、聖書の歴史が今に繋がっている現実に感動します。

古くて新しい国 イスラエル紀行(1)

ノアの箱舟Ⅱ

大洪水は四十日間地の上にあり、地上は水で覆われて鳥も家畜も獣も人も、地の上の生けるものすべてが死に絶えました。ただ、ノアと彼とともに箱舟にいた者たちだけが残りました。そして、大水が引くと、神はノアに『大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない』と仰せられ、その契約のしるしとして雲の中に虹を立てられました。後にイエス・キリストは、ご自身がもう一度地上に来られることを預言されましたが、その際このノアの洪水の話を用いて、次のように言っておられます。『洪水前の日々には人々は食べたり飲んだり、…していました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子(イエス・キリスト)の到来もそのように実現するのです。』

ノアの箱舟Ⅱ

高山右近(4)金沢~マニラ編

高山右近は、1587年・36歳で大名の地位を失ってから、小豆島を含め各地を点々とし、1588年秋、前田利家に召し抱えられ、客将として金沢の地に赴きました。有能で誠実な右近は、金沢でも様々な分野で活躍し、前田家でも重臣として扱われました。

その後、1613年・63歳の時に江戸幕府のキリシタン禁教令が出されます。このときも右近は信仰を貫き、一族で国外追放となります。神に従いすべてを失った右近ですが、追放先のマニラで、思いもかけない歓迎を受けます。要人がこぞって出迎え、要塞砲は一斉に祝砲をはなち、教会は鐘を打ち鳴らし、城門には儀仗兵が勢揃いし、神に従った聖なる人、右近とその一行を出迎えました。宣教師の報告で、右近の名はよく知られていたのです。マニラ到着の40日後、右近は高熱を発し亡くなります。死の直前繰り返した言葉は「我が主を仰ぎに行く」でした。天国へ凱旋して行った右近。マニラ到着時同様、天国でも天使たちの出迎えを受けたのでしょう。

高山右近(4)金沢~マニラ編

高山右近(3)小豆島編

1587年、豊臣秀吉は、伴天連追放令を出しました。伴天連とは、キリスト教宣教師、司祭を意味します。同時に、秀吉は配下の高山右近にもキリト教を捨てるように迫りました。しかし、右近は信仰を守り、大名の地位を捨てることを決意したのです。右近は、同僚のキリシタン大名・小西行長の領地に匿まわれました。

右近は小豆島町の中山地区という所に潜伏したのではないかと言われますが、山深い地で隣の人家からも離れていました。先に小豆島に潜伏していた、オルガンティノ宣教師を訪ね、語り合うことが楽しみだったそうです。右近の信仰はこのような境遇の中でかえって深まりました。栄光ある秀吉の配下の大名の地位から、草深いわびしい山奥の生活の落差はいかばかりだったでしょうか。しかし、彼はその先にある「天の故郷」に憧れ、信仰の人として一生を閉じました。

高山右近(3)小豆島編

高山右近(2)高槻編

阪急高槻市駅から南に10分ほど歩いた高槻城公園(城跡公園)の入り口に、高山右近の立像があります。十字架を握りながら、まっすぐ前を見据えるその立ち姿は、その後の彼の人生を予見しているかのようです。高山右近は21歳で高槻城の城主となり、その後十余年にわたりキリシタン大名としてこの地を治めました。彼の統治下、高槻周辺には多くの教会が建てられ、領民の七割以上がキリスト教を信じたとも言われています。また、彼の影響は黒田官兵衛など多くの武将をキリストに導きました。信長や秀吉など日本史の本流とも言える人々とも近く関係をもちながら、戦国大名として力を蓄えつつあった高山右近ですが、やがてキリスト教迫害という大きな歴史の流れに飲み込まれていくこととなります。

高山右近(2)高槻編

高山右近(1)

今から約5年前の2017年2月7日、大阪城ホールで、ある日本人がカトリック教会の「福者」(※1)に列せられました。彼の名前は高山右近。戦国時代から江戸時代にかけての激動の時代を生き抜いたキリシタン大名(※2)です。彼は16世紀中頃、現在の大阪府豊能町に生まれました。キリスト教が日本に伝えられてまだ間もない当時、12歳になった右近は父親に導かれて洗礼を受け、キリスト教徒としての人生を歩み始めます。その後、日本でキリスト教が排斥される中、各地を転々としながら彼は生涯その信仰を守り通します。

※1 カトリック教会における称号の1つ
※2 キリスト教を信仰した大名

高山右近(1)

目覚めの木、アーモンド

 中東原産のアーモンドは、日本では発音がなまって“あめんどう”となりました。古くは“扁桃”と呼ばれ、その名の通り桃や梅に近い種類です。日本で早春に梅が花開くように、聖書の主な舞台であるイスラエルでは、他に先立ってアーモンドの花が咲きます。そのため「目覚める」「見張る」というような象徴的な意味で聖書に登場します。エレミヤは、バビロン捕囚の頃に神のことばを民に取り継いだ預言者です。彼が若くして神に召し出された時に見た幻がアーモンドの枝でした。神はエレミヤに『まだ若い、と言うな。』『あなたの見たとおりだ。わたしは、わたしのことばを実現しようと見張っている。』と、重責にひるむ彼を励まされ、神のことばは必ず成就することを語られました。
ちなみに、当教会から散歩圏内の桃山公園に、アーモンドの木があります。

※バビロン捕囚-イスラエルの民がバビロニア地方に捕虜として連行移住させられたこと

目覚めの木、アーモンド

天地創造

聖書の冒頭は、次の一節でその口火が切られます。『はじめに神が天と地を創造された。』私たちが日々吸う空気、踏みしめる大地、これらはあまりにも身近なものであるため、私たちはそれを当たり前のものとして捕らえ、まるで自然発生的に、偶然でき上がったと考えがちです。しかし、聖書は天と地の創造は神が明確な意図をもって行われたことであると言います。聖書の最初の書物である創世記の1~2章には、この世界の創造の様子が書かれています。「偶然」にしてはあまりにも美しい空、木々、生き物たち、それら一つひとつを見る時に、神の創造のわざを覚えることができるのではないでしょうか。

天地創造

クリスマスのスピリット

世界で最初のクリスマスは、今から約2千年前のユダヤの地で厳しい生活を余儀なくされていた羊飼いたちによって祝われたと、聖書に記されています。その当時の出来事とそのスピリットは、光と愛と喜びの訪れであると言い表すことができます。貧しい羊飼いたちが夜番をしている時に、突然の光とともに神の使いによって救い主イエス・キリストの誕生が告げられました。これは闇の世と、闇に満ちた人の心に光が差し込むことを暗示しています。まさにクリスマスには多くの光の装飾が見られます。イエスは、人の心の内にある罪の解決のために、神ご自身がプレゼントとしてこの世に送られたのでした。やがて彼は、人のすべての罪を背負って十字架で死なれ、人に罪からの救いの道を開かれました。ここに神から人への一方的な愛が現されています。その精神が、愛する家族や友人の間でプレゼントを贈り合うクリスマスの習慣に見いだされます。また、神の不思議なお告げを聞き、それを信じて救い主イエスを探し当てた羊飼いたちは、喜びのあまり神に賛美の歌をささげました。これは、クリスマスの時期にキャロルが盛んに歌われることにも通じます。

今年のクリスマスは、神が私たちに与えられた光と愛と喜びのスピリットを覚え、皆様にも救い主イエスの誕生の意味を知っていただければと願います。

クリスマスのスピリット

迷える子羊

 なかなか決断ができずに、悩み迷う人のことを「彼は迷える子羊だ」と言うことがあります。明治の文豪、夏目漱石も著書「三四郎」の中で“stray sheep”(迷える子羊)という言葉を使っています。これは新約聖書のイエス・キリストのたとえ話から引用した言葉です。漱石はイギリスに留学していましたから聖書にも通じていたことでしょう。
 イエスは弟子たちに言われました。『もしある人に羊が百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を探しに出かけないでしょうか。』イエス・キリストは、神様から離れ、自分勝手な道を歩んでいる私たち一人ひとりに目を留めておられます。そして、迷い出た子羊のような私たちを救おうと捜しておられるのです。

迷える子羊

目には目を

「目には目を、歯には歯を」有名な言葉なので皆さんも一度は聞かれたことがあるのではないでしょうか。これはもともと、報復を勧める言葉ではなく、行き過ぎを抑えるため、釣り合いのとれた報復を、という原則を示す言葉でした。「倍返し」という言葉が流行りましたが、そこまではいかなくても、同害報復に納得される方は多いと思います。

しかし、イエス・キリストは『自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』と教えておられます。悪をもって悪に報いることをせず、善をもって悪に報いることを教えられたのです。「善をもって悪に打ち勝つ」このような、自我を捨てて、積極的善によって報復を断ち切る、憎しみに捕らわれない力強い生き方。報復の連鎖が見られる現代社会において、イエス・キリストのこの言葉は力強い輝きをもって私たちに迫ってきます。

目には目を

石鹸と十字架

石鹸を使った手洗いが今では日常となりました。人体や環境に優しい石鹸洗剤も注目されています。この石鹸、古い歴史を持っており、5千年も前のメソポタミアの粘土板に登場します。一説では、古代ローマ時代、神への捧げものとして、いけにえの羊を焼いた時の滴る油と薪の灰が混ざり、汚れを落とす不思議な土として珍重されたことが、石鹸の始まりであると伝えられています。
 聖書はイエス・キリストを『世の罪を取り除く神の子羊』と記しているように、十字架で血を流された子羊イエスは、神への完全ないけにえとなられました。人の罪を洗い去るイエスの十字架と、汚れを洗い流す石鹸が、このようにつながるとは象徴的です。
『御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。』(聖書)

石鹸と十字架

ノアの箱舟 Noah’s Ark

 有名な旧約聖書の物語「ノアの箱舟」。創造主である神様は、人々の悪が増大したことに心を痛め、ノアに巨大な箱舟を建造することを命じられます。この時、神様はノアに、箱舟の材質、塗装、サイズ、形状などを細かに指示されたことが聖書に記されています。その大きさは、長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビト(1キュビト=約44㎝)とあり、全長130m・幅22m・高13mほどもあるというその大きさにまず驚かされます。さらに、全長の1/6を幅とし、1/10を高さとする寸法は、水上に浮かぶ建造物の形として最も安定したものであることが造船技術学で判明されているそうです。
 他にも箱舟には、神様のいろいろな配慮が見られます。ノアの箱舟の記事はおとぎ話ではなく、今から約4400年前の出来事として、聖書は今に語り継いでいます。

ノアの箱舟 Noah’s Ark

新しい皮袋

 『新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れます。』このことばはスピーチなどに用いられることがありますが、ことわざではありません。聖書のことばで、イエス・キリストが話された、たとえ話の一つです。
 皮袋は新しいうちは弾力性に富み、伸び縮みしますが、古くなると干からびて硬くなります。皮袋に入れられたぶどう汁は内部から、ふつふつとガスを出して発酵し酒になります。新しい酒は古い皮袋に入れるとガスが溜まって膨張し、ついには張り裂けてしまうので、新しい皮袋に入れる必要があるという意味です。
 イエス・キリストの教えは、愛と自由と新しいいのちとにあふれています。そのような新しい生き方を、それまでの古い習慣や形式、儀式といったもので縛ったり閉じ込めたりすることが愚かであることのたとえとして、キリストはこの話を用いられました。

新しい皮袋

世界のイースター

「イースター」日本では馴染みの薄い言葉かもしれませんが、世界では主要な祭日として祝われています。卵は中から命が誕生することにより、キリストの復活のシンボルとして、またウサギは子沢山なため豊穣のシンボルとして用いられ、イースターには欠かせない存在です。特に卵はイースターの催しによく使われます。世界各国で多少の違いはありますが、卵をカラフルにペイントした「イースターエッグ」を飾ったり卵料理を食べたりして祝うことが一般的です。他にも隠されたイースターエッグを探すエッグハント、卵をスプーンにのせ割らずに早く運ぶエッグレース、卵を割らないようにして転がすエッグロールなどのゲームを楽しんだりと祝い方は様々ですが、このようにイースターは、人類全体の喜びの記念日なのです。今年のイースターは4月4日。教会で一緒にお祝いできる日が来ることを願っています。

世界のイースター

イースター(復活祭)

"イースター"はイエス・キリストが十字架の死から三日目によみがえられたことを記念する教会暦最古の祝日です。英語の"東方"(East)から由来しており、北欧の人々が、太陽の季節の到来をもって、新しいシーズンとしていたことと関係しています。古くは太陽の祭りを意味し、太陽が東方に現れて、この地上に新生命をもたらすことを祝っていました。これが、義の太陽であるキリストの復活と、その新しい生命をあらわすことに移行して用いられるようになりました。

イースターは月日が決まっていない移動祝日です。ユダヤ教の大陰暦と太陽暦を調和させ、春分の日以降の最初の満月の直後の日曜日と決められています。(参考文献 キリスト教慶弔学辞典)

イースター(復活祭)

グッド・フライデーからイースターへ

イエス・キリストの復活を記念する"イースター(復活祭)"をご存知でしょうか。
イースターは、春分の日後の最初の満月の次の日曜日という移動祝日で、今年は3月31日になります。キリストを信じる多くの国々では、その前の金曜日[Good Friday(グッドフライデー)]から4日間が祝日として祝われています。
でもなぜ、キリストが十字架に架けられ死なれた日とされる、この金曜日を"Good"と呼ぶのでしょう。
それは、キリストの死の向こうに、私たちに備えられている永遠のいのちへの希望があるからです。
聖書に次のようにあります。『それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』キリストの教会では、イースターの日に記念の礼拝や集会を持っています。
どうぞ当教会へも足をお運びくださり、この希望をご自身のものとなさってください。

グッド・フライデーからイースターへ

ゴールデンルール(黄金律)

「ゴールデンルール」という言葉があります。“紅茶の入れ方ゴールデンルール”のように、最良の方法や規則の意味で使われることもありますが、もともとは、聖書に記されているイエス・キリストの次のことばのことです。
『人からしてもらいたいことは何でも、
    あなたがたも同じように人にしなさい。』

 イエスの時代、ユダヤの民は細かく定められた数多くの律法(戒め)に従って生活していました。ある時、律法の専門家が、どの戒めが一番重要かとイエスに問うと、『あなたの神、主を愛しなさい』という神との関係、そして『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という対人関係の、二つの戒めに集約されるとお答えになりました。この二番目の人間関係の基本となる戒めを、イエスがより具体的・積極的に説かれたのが、「ゴールデンルール」と呼ばれる教えです。

ゴールデンルール(黄金律)

空の空(くう の くう)

 聖書に「伝道者の書」という書物があります。著者はソロモンという王様です。彼は神様を信じる王で、民を治め裁くのに必要な知恵や知識を神様に求めました。神様はご自身を信頼するソロモン王に誰よりも優れた知恵を授けられました。『王が分からなくて、答えられなかったことは何一つなかった。』と書かれています。そのため、ソロモンの知恵を聴こうと外国からも多くの人々が宝物を携えて謁見を求めに来ました。ですから、宝物殿は宝の山であったことが容易に想像できます。しかしソロモン王は、すべての者が同じ結末(死)に行き着くことを知り、たとえ権力や富を得ても『空の空(くう の くう)。すべては空(くう)』だと言いました。それは王自身が、目に見える宝で心の空洞を満たすことはできないことを体験したからです。そして、その解決を『神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。』と王は結んでいます。

空の空(くう の くう)

救世主

 様々な業界や分野で、ピンチを救った人のことを「救世主」と呼ぶことがあります。「救世主」とは、もともと世界を救う救い主イエス・キリストを表しており、英語では「メサイア」と訳されています。
 「メサイア」といえば、バロック時代の音楽家、ヘンデルの曲が有名です。この曲はヘンデルの他の作品とは異なる面を持ち、まるで絵画のように救い主キリストを浮き彫りにする手法が用いられています。特に第二部最終曲の「ハレルヤ・コーラス」は有名で1743年のロンドン初演の最後に、当時の英国王が感動して起立し、観客も総立ちとなったという伝説が残っています。
 新しい年の祝福を祈りつつ、聖書のことばをお贈りします。『私たちの救い主キリスト・イエスから、恵みと平安がありますように』

救世主

ニュージーランドのクリスマス

 手元のカレンダーをめくると、12月の写真は、夏空のもと浜辺に咲いた赤い花。この花の正体は、パフツカワというニュージーランド原産の木です。クリスマスシーズンに赤い花を咲かせるため、ニュージーランドのクリスマスツリーとして親しまれています。国が違えばクリスマスの過ごし方も異なります。大阪教会の母教会があるニュージーランドは、南半球に位置するため、夏にクリスマスを迎えます。人々は家族や友人たちと静かにキリストの誕生をお祝いします。そして、クリスマス休暇には、山へ海へと出かけてアウトドアでも楽しみます。クリスマスの過ごし方は違っても、イエス・キリストの誕生を喜びお祝いすることは世界中どこでも同じです。神様から私たちへの贈り物である救い主、イエス・キリストの誕生を感謝しましょう。

ニュージーランドのクリスマス

イエスの母マリヤ

ガリラヤのナザレに住んでいたマリヤのところに、突然天使が現れ、「あなたは神からの恵みにより、身ごもって男の子を産みます。」と告げました。初めマリヤは、この言葉に驚き戸惑いました。この時、マリヤは大工のヨセフと婚約中でしたが、この時代、未婚のまま妊娠することは、現代からは想像もできないほどの重罪で、死罪に価するものでした。天使が言った「神に恵まれる」とは、人間的な常識では幸せどころか災難であり、とても苛酷なことだったのです。しかしマリヤは『おことばどおりこの身になりますように』と、自分に与えられた運命を従順に受け入れました。このようにして救い主は私たちのところに来てくださいました。

イエスの母マリヤ

きよしこの夜

"きよしこの夜 星は光り
救いの御子は 馬槽の中に
眠りたもう いとやすく"

世界中で歌われているこの讃美歌の歌詞のとおり、世界で最初のクリスマスは、ユダヤにあるみすぼらしい家畜小屋で、ヨセフとマリヤに与えられた赤ん坊の誕生から始まりました。この誕生の物語には、「清貧」という言葉が似つかわしく思います。「清貧」とは「私欲を捨てて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること」とされています。世界は豊かになったと言われます。インターネット回線が張り巡らされ、今まで発展途上国と呼ばれていた国も、先進国同様自由に富を追求できるようになりました。でも、それが私欲を追うことなら、人は大切な何かを失くしてしまうのではないでしょうか。

モノで溢れ返った時代、飼い葉桶の幼子のイメージは、どこかなつかしくあたたかい気持ちを呼び起こしてくれます。生活は質素であったとしても、"いとやすく"のとても平安な心こそ大切にしたいと思わされる2009年の年の瀬です。

きよしこの夜

クリスマスソング

クリスマスが近くなると、街に「もろびとこぞりて」(讃美歌112番)のメロディーが流れ、クリスマスの楽しい雰囲気を盛り上げます。けれども、この歌の作詞者フィリップ・ドッドリッジ(1702-51)がどのような悲劇的な状況の中で生まれたかを知ると驚きます。彼はロンドンの油商人の20番目の息子として生まれました。すでに18人の子どもが死に、たった一人しか生きていなかったのです。彼が生まれた時、母モニカは、もしこの子が生き長らえることが出来たなら、神様に捧げますと祈りました。幸い彼は知性に恵まれて成長し、牧師になり神学校を開き、聖書、神学、哲学、数学などを教え、400ほどの讃美歌の歌詞を書きました。この「もろびとこぞりて」では、「主キリストは捕らわれ人を自由にし、悪魔の束縛から解放されます。その恵みにより、へりくだっている貧しい人々を富ませ賜います。」と神を讃えて歌っています。

クリスマスソング

クリスマス休戦

第一次世界大戦中のことでした。とても寒く静まり返った戦場にも、クリスマスはやってきました。空には星が輝き、兵士たちは暗い塹壕の中で、しばし銃を置いて、それぞれのクリスマスの思い出にふけっていました。
と、その時、一人の兵士が「きよしこの夜、星はひかり・・・」と歌い始めました。そしてそれはいつしか大合唱となり、夜空に響き渡りました。彼らは涙を流しながら、歌い続けました。
するとかなたの敵の塹壕の中からも、もう一つの歌声が湧き上がってきました。その夜は銃声が止み、辺りに歌声が溢れたのです。これがクリスマス休戦の始まりです。
イエス・キリストは家庭に、そして世界に平和をもたらすために、この地上に来てくださいました。クリスマスは平和の祭典です。あなたもこの心の平和をご自身のものとされませんか。

クリスマス休戦

異邦人

 現在、教会などで活躍を続ける音楽宣教師の久米小百合さん。彼女が1979年にシンガーソングライター久保田早紀として発表した「異邦人」は大ヒットしました。日本では異邦人という言葉はあまり聞きませんが、日本人のことを邦人と言うことはよくあります。旧約聖書では「異邦の民」、新約聖書では「異邦人」という言葉が出てきます。歴史の中で、イスラエル民族は、神様がご自身を現わされるために選ばれた民としての民族意識を高めていき、他民族との分離が表面化していったことがわかります。それでイスラエル以外の民族を異邦人と呼びました。
 今、人種差別が世界的に大きな問題となっています。神様は聖書を通して、他国人に対して親切にするようにと言っておられます。 『あなたがたは寄留者(異邦人)を愛しなさい。』と。そして、約2000年前、神の子イエス・キリストはイスラエル民族(ユダヤ人)だけでなく、すべての人を愛し、救うためにこの地上に来られたのです。

異邦人

最後の晩餐

「“最後の晩餐”にあなたは何を食べますか?」このような質問を耳にすることがあります。「最後の晩餐」は、イタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチが15世紀後半に製作した壁画で、キリストが死の前日に、ユダヤに古くから伝わる“過越の祭り”※を12人の弟子とともに祝われた食事の場面を描いたものです。『あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります』のイエスのことばで、弟子たちに動揺が広がるその瞬間が切り取られています。キリストは『自分について書かれているとおりに去って行きます』と弟子たちに語られ、罪のないイエス自らが罪人の身代わりとなって十字架上で完全な“犠牲(いけにえ)”になるという旧約聖書の預言が成就するのです。「最後の晩餐」は、キリストの十字架の死と復活の始まりであり、私たちの救いと永遠への始まりなのです。
※「過越の祭り」=屠った子羊の血を入口に塗った家々は神の裁きが過ぎ越したことに因む、 “エジプトからの脱出”を記念した祭り

最後の晩餐

エデンの園

 「エデン」とはヘブル語で、「優美な」「喜ばしい」といった意味があります。世界の初めに、神は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人アダムと、その妻エバを住まわされました。神はエデンの園の中央に“いのちの木”と“善悪の知識の木”を生えさせました。神は彼らに自由を与えられましたが、『善悪の知識の木からは、食べてはならない。』と命じられました。ある日、狡猾な蛇が来てエバを誘惑し、エバは禁じられていた木の実を食べ、一緒にいたアダムにも与えました。彼らが命令に背いたことが明らかになると、神は『人がいのちの木からもとって食べ、永遠に生きることがないよう。』と、罰として二人をエデンの園から追い出されました。こうして、神に背くという罪の血は、現在の私たちの内にも脈々と流れているのです。

エデンの園

洗 礼

 スポーツの新人選手がデビュー戦で「プロの洗礼を受ける」と言われることがあります。その後の成長のために受ける試練のような意味で使用されたり、初めての貴重な体験をする時などによく使われる言葉です。
 もともと「洗礼」は、イエス・キリストを個人的に信じる信仰を表明する一つのステップのことです。プロテスタントの教会では、全身を水に浸すことによって、今までの罪が洗い清められることを象徴する儀式として行われています。「新しいいのち」を与えられ、創造主である神の子として歩み始めるために、当教会でも行っています。それは信仰生活の始まりであり、素晴らしい体験として祝福されています。
 『罪を悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい』(聖書)

洗 礼

ハレルヤとアーメン

 「ハレルヤ」と「アーメン」は、世界共通の言葉としてよく知られています。どちらも聖書に使用されているヘブル語です。
 「アーメン」は、祈りの最後に“今祈ったことは真実です”また“その通りになりますように”という意味で使われます。
 「ハレルヤ」は楽曲に使用されることも多く、昨年話題を呼んだ「パプリカ」という曲の中にも「ハレルヤ」という歌詞がありました。皆さんも時々耳にされる言葉かもしれません。この「ハレルヤ」は、“主(神)をほめたたえよ”という意味で、クリスチャンが感謝や喜びなどを表す時に使う言葉です。ドイツの作曲家ヘンデルの「メサイヤ」(救世主の意味)の最終楽章には有名な「ハレルヤ・コーラス」があります。聖書には『すべての国々よ 主をほめたたえよ。すべての国民よ 主をほめ歌え。主の恵みは私たちに大きい。主のまことはとこしえまで。ハレルヤ。』とあり、聖書の記者はすべての人々に神をほめたたえよと呼びかけています。

ハレルヤとアーメン

バイブルって…?

 ある分野で権威のある本であったり、なくてはならないとされるような重要な本に対して、「~のバイブル」という言葉が使われることがあります。ご存知のように「バイブル」は英語で「聖書」のことで、世界中の言語に訳され、「本の中の本」「永遠のベストセラー」と呼ばれています。しかし日本では、有名な割にそれほど読まれていない本であるかもしれません。私たちが日ごろ耳にする音楽、目にする絵画には、聖書を題材にしたものが数多くあります。また日常生活で何気なく使っている言葉が、聖書の言葉だったりと、私たち日本人も思わぬところで聖書の影響を受けています。知られていそうで知られていない「聖書」についての豆知識を、今月号からシリーズでお届けしてまいります。どうぞお楽しみに!
※ご希望の方には、新約聖書を無料でお贈りします。
 どうぞ当教会までご連絡ください。

バイブルって…?

この人も読んだ 聖書映画「炎のランナー」の主人公 エリック・リデル

 1924年パリ五輪の400m走で、本来そのレースを走るはずではなかった人物が金メダルを獲得しました。彼の名前はエリック・リデル。大きく胸を突き出してゴールテープを切る彼の姿は、映画「炎のランナー」を通して、世界中で知られることとなります。
 彼は1902年、宣教師の息子として中国で生まれました。1908年に母国スコットランドに戻り、大学で短距離選手としての才能を開花させると、パリ五輪の100m走での勝利が期待されました。
 しかし、その試合が日曜日に行われるとわかった時、クリスチャンであった彼は、安息日※である日曜日に走ることを良しとしませんでした。100m走を諦めた彼は、別の日に400mと200m走に出場し、それぞれ金メダルと銅メダルを獲得したのです。五輪の後、宣教師として中国に戻った彼は亡くなるまでその地にとどまりました。何よりも神を第一にした彼は、その生涯を通して神の栄光を表し、炎のような情熱をもって人生を駆け抜けたのです。
※「安息日」: 神を覚えて仕事を休むように聖書で定められた日のこと。

この人も読んだ 聖書映画「炎のランナー」の主人公 エリック・リデル

この人が書いた聖書使徒ヨハネ

 ガリラヤ湖(※1)の漁師であったヨハネはイエス・キリストの招きにより弟子となります。“雷の子”と呼ばれるほど激しい気性でしたが、後に愛の人に変えられ、初代教会の指導的役割を果たします。彼は福音書・三つの手紙・黙示録の五つの書を書きました。四つある福音書の中でもヨハネによる福音書は、神の子としてのイエス、その神性に重点が置かれています。12弟子のほとんどが殉教を遂げた中で唯一彼は長寿を与えられ、晩年パトモス島(※2)に流されます。そこで神から啓示を受け、黙示録を記しました。人類への救いの道と世界の終わりの時の審判とイエスを信じる者の究極的な勝利を預言し、当時の迫害下にある信者を励ましています。聖書全巻の最後の書であり、まとめでもあるヨハネによる黙示録は、『熱心になって悔い改めなさい』と現代の私たちにも熱く語りかけています。
 ※1:イスラエルの北部ガリラヤ地方にある湖
 ※2:トルコ西部のエーゲ海に浮かぶ小島

この人が書いた聖書使徒ヨハネ

仰天聖書 すべてが新しくされる

 聖書の中に『ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』というパウロの言葉があります。初代教会最大の宣教者で、新約聖書の13書簡を著述したパウロは、律法厳守のユダヤ教徒で、律法の修得と研究に没頭していました。そんな彼にとって、十字架に架けられたイエスを救い主とする教えは、彼の信じるユダヤ教にとって耐えがたい冒涜と思われました。ですから彼は先頭に立ってクリスチャンを迫害しました。しかし、ダマスコに行く途中、復活のイエス・キリストと出会い劇的な回心を遂げます。そして彼は殉教するまで約35年間、イエス・キリストを伝えることに邁進しました。パウロは、当時の世界の中心地からキリストの教えを広め、歴史を変え、偉大な使徒と呼ばれるようになったのです。

仰天聖書 すべてが新しくされる

この人も読んでいる聖書詩人・画家 星野富弘

「花が上を向いて 咲いている 私は上を向いて ねている
あたりまえのことだけれど 神様の深い愛を感じる」(ひなげし)
星野富弘氏は、1946年、群馬県に生まれました。1970年には群馬大学を卒業し、中学校の体育教師となりました。しかしその6月、クラブ活動指導中に頸髄を損傷し、首から下の運動機能を失うこととなりました。入院中はその不自由なからだのゆえに苦しみ、死にたいと考えることもありました。しかし、闘病のさなかに聖書を通じて神様の愛を知り、口に筆をくわえ詩画を書き始めました。力強さの中にも優しいタッチで描かれた花の絵と、飾らないことばで綴られた詩には神様への感謝があふれています。「失うということと、与えられるということとは、となり同士なのかもしれません。」と富弘氏は語ります。怪我を通して神様と出会った彼は、その詩画を通して深い苦しみの中にいる人々を励まし続けています。

この人も読んでいる聖書詩人・画家 星野富弘

この人も読んだ聖書(2024年予定)新5千円札の顔 女子教育のパイオニア  津田梅子

日本初の女子留学生の一人として6歳で渡米した梅子は、クリスチャンホームに受け入れられ、2年後には自らの意志で洗礼を決意します。梅子の信仰がしっかりしていたので幼児洗礼ではなく大人の洗礼を授けた、という記録が残っています。
 自主自立を尊重する教育を受けた11年間の留学生活の後、自分たちが受けた教育を日本の女性にも、との思いを胸に帰国しますが、願うような活躍の場はなく、当時の女性の立場に失望の日々を過ごします。
 女性の真の自立のための学校創りこそ、自分に与えられた使命と確信し、再留学の後、内外の協力者と時宜を得て1900年(明治33年)に女子英学塾(現津田塾大学)を創立します。
 国費留学生としての国への恩返しにとどまることなく、神から与えられた使命に忠実に、一心に努力を重ねた生涯でした。

この人も読んだ聖書(2024年予定)新5千円札の顔 女子教育のパイオニア  津田梅子

この人が書いた聖書使徒パウロ

 『私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。』(聖書)

 このように書いたパウロは、キリストによって人生が全く変えられた人でした。熱心なユダヤ教徒として育てられたパウロは、当初、イエスの復活を語るキリスト教徒たちを迫害していました。しかし、キリスト教徒を迫害する旅の途上、彼は天からの光に照らされ、自分に語りかける声を聞いたのです。それは「なぜわたしを迫害するのか」というイエスのことばでした。この体験は彼の生き方を180度方向転換させました。彼は命の危険をも顧みず、キリストの救いを宣べ伝える者となったのです。

 27巻の書物から成る新約聖書は、内21巻が書簡ですが、パウロはその内14巻を記しています。信徒たちを教え、励ますために書かれた彼の手紙は、聖書の中で、今もキリストにある希望を人々に伝え続けています。

この人が書いた聖書使徒パウロ

兄弟の目にある塵

 聖書に記されているイエス・キリストの教えの中に、有名な“山上の説教”と呼ばれる説教があります。この中にイエスの語られたかった全てが 、要約されているとも言われています。これは弟子たちに語られたものですが、全ての人がどのように歩むべきかが教えられます。私たちが自分の多くの欠点に目を閉じながら、人のあら捜しをすることについて『あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。兄弟に向かって、「あなたの目からちりを取り除かせてください」と、どうして言うのですか。』と言っておられます。人を批判する前に、まず自分の行いを顧み、自分の問題を処理しなさい。そうすれば、他の人のちりを取り除くことができます、と聖書は戒めているのです。

兄弟の目にある塵

この人も読んだ聖書瀧 廉太郎

 明治時代の代表的な音楽家である瀧廉太郎。1879年に東京で生まれ、父親の仕事の関係で各地に移り住んだことで、豊かな感性が育まれました。16歳で東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に入学し、作曲やピアノを学びます。そして「花」「鳩ぽっぽ」「お正月」など、子どもから大人まで親しめる曲を作曲しました。
 21歳の時に洗礼を受けてクリスチャンとなり、その年に作曲した「荒城の月」は、当時の文部省中学唱歌の入選作となりました。深い祈りの中で生まれたこの曲は、海を渡ってベルギーで讃美歌となり、現在も歌われています。その後、廉太郎は21歳の時に音楽留学生としてドイツの音楽学校へ入学しますが、結核を患い、1年足らずで帰国。1903年、23歳の若さで天 に召されます。しかし、彼が神から与えられた音楽は、今も私たちの心に響く歌として歌い継がれています。

この人も読んだ聖書瀧 廉太郎

この人も読んだ聖書 - 愛のゴスペルシンガー - レーナ・マリア

 スウェーデンのゴスペルシンガー、レーナ・マリアは1968年に誕生。原因は不明ですが彼女は生まれた時から両腕がなく、左脚も右脚の半分くらいの長さで左脚には義足をつけています。クリスチャンであった両親は普通の子と同じように育て、3歳になったころから両親と教会の礼拝に出席するようになりました。また、水泳も始め18歳で国際大会にも出場。世界記録も出しました。その後、王立音楽大学で学び、卒業後は世界各国でツアーを行いました。そして、日本でもコンサートを開催し、テレビ・ラジオ・メディアに出演して多くの反響を得ました。レーナは「私が生きるのに必要な力や喜びは、すべて神様が与えてくださることがわかったので、私は『乏しいことはないのです』」と言い、今日も神の愛の贈り物としてのイエス・キリストと、彼による救いをお伝えしたいと、神を讃えて歌っています。

この人も読んだ聖書 - 愛のゴスペルシンガー - レーナ・マリア

この人も読んだ聖書 - 伝道者 “真珠湾の英雄” - 淵田美津雄

 淵田美津雄は、1902年に奈良県で生まれました。幼い頃から軍人に憧れ、それが長じて海軍に入隊しました。1941年12月8日、太平洋戦争の発端となった真珠湾奇襲攻撃の総司令官として作戦を成功させ、日本軍に貢献しました。しかし戦後、彼は自分だけが生き残ったという恥と自責の念にかられ、精神的な支えを失っていました。そのころ友人の体験を通して読み始めていた聖書の中に、『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。』という、キリストが十字架の上で語られたことばを見いだし、回心して伝道者となりました。当時のアメリカには彼を非難する人が多くいました。しかし彼は“真珠湾の英雄 ”という肩書を武器として伝道しました。1951年から始まった伝道の旅は15年にわたり国内、全米はもとより世界の各地に及びました。そして1976年、奈良の地で73歳の生涯を閉じました。

この人も読んだ聖書 - 伝道者 “真珠湾の英雄” - 淵田美津雄

この人も読んだ聖書 - 三浦光世

クリスチャン作家である故三浦綾子氏の夫・三浦光世氏は、1924年東京で生まれ、3歳で北海道に移住。
その年に父を亡くして母方の祖父母に育てられました。
17歳の時に腎臓結核で片腎摘出後、膀胱結核などさまざまな病気に苦しみます。
1955年、肺結核と脊椎カリエスで9年間病床にあった堀田綾子さんを見舞い、それが出会いとなって、二人は1959年に結婚します。
1964年、綾子さんが執筆した「氷点」(タイトルは光世氏が発案)が朝日新聞の懸賞小説で1位となり、作家活動を開始すると、光世さんは退職して執筆活動に協力します。
その後パーキンソン病のためにペンを持てなくなった綾子さんに代わって、光世さんは口述筆記を行ない、それは80点もの作品に及びました。そして、その介護の姿は多くの人々の心を打ちました。
1999年、綾子さんの召天後は「最後まで、綾子の伝えたかったキリストの救いを伝えていきたい。」と、三浦文学の語り部として15年間の働きを全うし、2014年10月天国に旅立ったのです。

この人も読んだ聖書 - 三浦光世

この人も読んだ聖書 - 内村鑑三

明治から大正時代のキリスト教伝道者である内村鑑三は、高崎藩士・内村宜之の長男として江戸に生まれました。
東京外国語学校に学んだ後、1877年、札幌農学校に2期生として入学しました。
そこでクラーク博士の感化を受け、クリスチャンになりました。そして、同期生の新渡戸稲造らと共に、札幌基督教会の創設に尽力しました。
彼は「二つのJ」すなわち"Jesus(イエス・キリスト)とJapan(日本)に仕える"というモットーの下に、生涯を通じキリスト教徒として平和主義を貫きました。
彼は娘ルツ子の葬儀 の日「この式はルツ子の結婚式であります。」と言い、納棺の時、「ルツ子さん万歳!」と叫びました。
この情景を見ていた後の東大学長となった矢内原忠雄は、キリスト信仰に対する認識を新たにしました。
内村の著書「予は如何にして基督信徒となりし乎」は、数か国語に翻訳され、多くの人々に多大な影響を与えました。

この人も読んだ聖書 - 内村鑑三

この人も読んだ聖書 - 黒田官兵衛

黒田孝高・如水・シメオンという名前で知られる黒田官兵衛は、1546年、姫路城主の長男として生まれ、早くからその聡明さを認められていました。
成長して豊臣秀吉と出会い、播磨平定の前線基地として姫路城を提供し、自らは軍師として数々の合戦で活躍しました。
官兵衛は相当の策士でしたが、"武力ではなく知力で相手を制する"という官兵衛の信念は、家臣たちの人望を得ただけでなく、敵の心をも動かす力を持っていました。
官兵衛は40歳の頃、高山右近の勧めで洗礼を受けクリスチャンになりました。
フロイスの「日本史」の中に、「官兵衛はこのように祈りを続けていったが、それは真心のこもったもので、その信仰と信心は一同に感銘を与えずにおかなかった」と書かれています。
その結果、官兵衛の勧めによって多くの人々がキリスト信者になりました。
官兵衛は59歳の時、教会建設のため多額の献金をして亡くなったとも言われ、彼の信仰の表れを見ることができます。

この人も読んだ聖書 - 黒田官兵衛

子どもの教育と聖書

子どもの教育は、いつの時代にあっても大切な問題です。聖書は、子どもの教育に一番責任があるのは両親だと言っています。そして、子どもの教育にとって大事な二つのことを示しています。

1. 模範を示す―これは幼い子どもを教育するのに最も効果的な方法です。子どもと親の関係がうまくいっており、子どもが親を愛しているなら自然に親のようになりたいと思うからです。
2. 直接教える―両親、特に父親は子供の生活に個人的に関わり、彼らの興味を持つことに興味を持ち、どんな問題があっても子どもを無条件に愛していることを知らせることです。

『若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。』『父たちよ。…子どもを…主の教育と訓戒によって育てなさい。』と聖書は勧め励ましています。

子どもの教育と聖書

十字架

十字架は、現代ではアクセサリーなどに用いられていますが、元々は残酷な死刑の道具でした。聖書に、『主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。』とありますように、創造主である神は、ひとり子のイエス・キリストを十字架に架けることにより、人間の罪の罰を代わりに受けさせられました。そして私たちが、イエスを救い主と信じるなら、自分ではどうすることも出来ない罪が赦され、救われると聖書に約束されています。それで十字架は、神の愛を表すシンボルとなったのです。

ところで、当教会の前に、十字架をデザインしたタワーがあるのを、ご存じでしょうか。阪急南千里駅までの建物が建て替わり、夜にはネオンの光に輝く十字架が遠くからも見えるようになりました。この光を目印に、どうぞ当教会の集会へお越しください。

十字架

聖書の一大テーマ

聖書の一大テーマ、それは"神の愛"です。それも神様からの一方的な愛です。私たちを愛するあまりご自分の大切なひとり子をさえ、十字架にかけて殺してしまうほどの愛です。人には考えることのできないほど、大きな犠牲を伴った愛です。そのひとり子とは、イエス・キリストです。なぜそんなにまでして神様は私たちのために犠牲を払ってくださったのでしょうか。それは、私たちには心の病巣というべき大きな罪があるからです。
『罪から来る報酬は死です。』と聖書に書かれています。私たち人間はみな罪の罰を受けなければならなかったのですが、神様は私たちに罪を負わせず、私たちの身代わりにイエス・キリストを十字架にかけて罰せられました。2千年前のできごとですが、あなたが信じるなら、神様の愛による罪の赦しの計画は今も有効であり、永遠のいのちへの道につながるのです。

聖書の一大テーマ

Passion~パッション

パッションと聞くと、「情熱」や「熱中」などの意味を思い浮かべますが、実はこの単語は「キリストの受難」を意味する言葉でもあります。2004年に公開された映画に、このタイトルがつけられていたのを、記憶しておられる方もあるでしょう。イエス・キリストが激しく鞭打たれ十字架に釘付けにされる姿は、思わず顔を背けたくなるほどのむごたらしさでした。

聖書に『しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって私たちはいやされた。』とあるように、それは私たちの罪のための、身代わりの死であったと聖書は言います。この映画のラストシーンでは、死んで墓に葬られたはずのキリストが、十字架につけられた時の釘の跡を残したままで静かに立ち上がり、歩き始める姿が一瞬映し出されています。今年も世界中で、キリストの復活を記念するイースターが祝われます。それは、あなたへのグッドニュースでもあるのです。

Passion~パッション

米大統領が手を置く聖書

1月20日、アメリカ第44代大統領となるオバマ氏の就任式が行われました。全米から二百万人の人々が集まり、世界中の注目を集める中、新大統領は「アメリカ合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、もてる力の最善を尽くして合衆国憲法を守ることを厳粛に誓う」と宣誓しました。この時の宣誓は聖書に手を置いて行われ、用いられた聖書は、第16代リンカーン大統領が1861年の就任式に使用したものであったことが話題になりました。

大統領就任式の宣誓は合衆国憲法に規定された文言通りに進められますが、歴代大統領の多くはその後 "so help me God."「神よ、われを助け給え」と付け加えています。人が何かを誓うとは、世界を造られ、統治されている神に対して固く約束することなのだということを超大国のリーダーたちは証言しているのです。

米大統領が手を置く聖書

空っぽの墓

ある日曜日の夕方、戸を堅く閉ざした家の二階に、ユダヤ人を恐れて隠れている10人の男たちがいました。彼らは、今までしてきたことに対する喜びや情熱を失い、落胆し、ふさいで座り込んでいました。何故なら、三日前に、彼らの指導者であるイエスが、民衆の目の前で処刑されてしまったからです。

実は、この日の朝、イエスを葬った墓は空っぽになっていました。弟子のペテロとヨハネは空っぽになった墓に、遺体を包んでいた布だけが置かれていたのを見て、イエスの復活を信じることができました。しかし、他の弟子たちにはとても信じられないことでした。まさに、そのような時に、イエスは弟子たちの前に現われてくださいました。"復活"。この常識では理解できない出来事が、弟子たちの中で現実のものとなった時、彼らは変えられ、大胆に、そして命がけでイエスの復活と十字架の救いを伝え続ける者とされたのです。

空っぽの墓

エイブラハム・リンカーン

第16代アメリカ合衆国大統領、エイブラハム・リンカーンは、大きな愛の人と言われています。自分の幸福よりも、多くの人の幸福のために、自分の持てる力を惜しみなく捧げたからです。彼は自由の象徴であり、アメリカ民主主義を守ってこれを作り上げた人です。

彼は、丸木小屋に生まれ開拓の斧をふるい、フロンティア(辺境・国境地方)の貧しい少年から大統領になりました。リンカーンは、学校教育を受ける機会がなく、彼の職業、法律についても独学の人でした。

その彼に最も影響を与えた本は、聖書でした。政治家となってからの演説にしばしば聖書のことばを引用しました。奴隷解放に力を尽くし、「人民の、人民による、人民のための政治」という演説の言葉は、あまりにも有名です。南北戦争で北部を勝利に導いたリンカーンは、戦勝のわずか数ヵ月後に暗殺されましたが、彼の名はアメリカ史上にしっかりと刻まれています。

エイブラハム・リンカーン

人生の宝物

人はみな自分の宝物を探す旅人のようです。「あなたの宝物は何ですか?」と、問われたら何と答えられるでしょうか。旅の途中に病気になった人は、健康を宝物と思うでしょう。また、旅の途中にお金をなくした人にとっては、お金が宝物です。旅を続けるために必要なものを欲しいと思うのが正直な気持ちかも知れません。確かに旅には健康やお金は必要なものです。

イタリア・ルネッサンスを代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチは、手記の中で「十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりのことを考慮せよ。」と言っています。若い日に知識を深め、地位を手に入れ、財産を蓄えても、終わりが近づくにつれて失うことが多くなります。私たちはいつまでも旅を続けるのではなく、やがて死という終わりを迎えます。もし、死を自分のこととして意識するなら、何を宝物にするかも変わってくるでしょう。聖書の一節に『見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです』とあります。私たちは、見えるものを大切にしやすいのですが、永く持ち続けることのできる人生の宝物は、目で見たり手で触ったりできないものの中に探す必要があります。

人生の宝物

ギデオン

皆さんは今までに一度は"ギデオン聖書"をご覧になったことがあると思います。病院や学校に寄贈されていたり、ホテルの部屋に置かれている小さな聖書です。実は"ギデオン"は聖書に出てくるイスラエの勇士の一人の名前です。紀元前11世紀頃、イスラエルでは、近隣諸国を荒らし回っていた宿敵ミデヤン人との戦いが繰り返されていました。その時彼は神の使いから、イスラエルを救う指導者になるように言われました。彼は各方面に使者を遣わして人々を集めました。三万二千人の人が集まりましたが、最終的に残ったのは三百人だけでした。彼らは敵に夜襲をかけ、つの笛を吹きながら、『主の剣、ギデオンの剣だ』と叫んで敵軍を敗走させました。その後、ギデオンは40年に亘る平和な時代をイスラエルにもたらし、さばきつかさとして実り多い働きをしました。

ギデオン

神の愛はどこから

5月の母の日、6月の父の日と親に感謝する日が続きます。普段は意識していなくても、ふとした時に親のありがたさや、親の子に対する思いが分かることがあります。それぞれの日に、両親に心からの感謝を捧げたいものです。けれども、今の時代、家庭にまつわる忌まわしい事件がなんと多いことでしょうか。親が子を殺害し、子が親を殺害する事件が本当に多く起こっています。家庭に、いや社会に愛がない時代だからです。かつてはそうではありませんでした。では、愛はどこから私たちのもとに戻って来るのでしょうか。父の愛も母の愛も、その原型は、人を創造された真の神の愛です。母親の子に対する献身的で犠牲をいとわない愛は、神の愛から出ています。神の犠牲の愛は、神が全人類のためにその御子イエス・キリストを十字架にかけて殺されたことに表れています。真の愛は神から出ています。人は手を伸ばせばその愛を受け取ることができます。アッシジのフランチェスコ、マザー・テレサ、賀川豊彦等々、神の愛を受け、その愛をもって人々を愛した人は数え切れないほど多くいます。この愛こそ私たちに今必要なものです。

神の愛はどこから

マグダラのマリア

しばらく前に上映され、話題になった映画の一つに"ダヴィンチ・コード"があります。キリストが弟子であるマグダラのマリアと結婚しており、その子孫がフランスの王家にいるというものでした。では、そのマグダラのマリアとはどういう人だったのでしょうか。

彼女はマグダラ出身で7つの悪霊に悩まされていました。イエスにいやされて後、十二弟子と共にイエスに従っていた大勢の女たちの一人として彼女も加わりました。イエスの伝道中、彼につき従っただけでなく、彼が捕らえられ十二弟子が四散した後、十字架上で死なれた時もその場で彼の最期を見届け、埋葬を見守りました。そして三日後、空になった墓を最初に見、直後に弟子たちの中で最も先に復活の主に出会いました。

何故、これ程までにイエスに忠実であり得たのか、物議をかもした点ですが、女性を蔑視し、男性中心で女性には教えることさえしなかった社会において、その存在を認められ、何よりも、多くの罪を赦され、新しく造りかえられたことへの感謝と喜びに心が溢れていたからではないでしょうか。

マグダラのマリア

予言者と預言者

"予言者"(よげんしゃ)と言えば、ノストラダムスが有名で、「1999年に世界が滅ぶ」というまことしやかな予言による騒ぎがありましたが、この予言の「予」は"あらかじめ"の意味で、天気予報のように未来に関することに使われます。人は時に好奇心から未来予知に関心を持ちますが、聖書には占いをしてはならないとあります。

一方、旧約聖書に出て来る"預言者"は、"預ける"つまり預金の「預」が使われています。ヘブル語やギリシャ語の原典によりますと「神からのことばを預かって人々に伝える者」となります。「先見者」とも呼ばれました。優れた預言者イザヤやエレミヤは、神のことばや警告を王や民に語ったため、しばしば迫害されましたが、彼らは神のことばを曲げませんでした。

予言者と預言者

平和の君イエス・キリスト

『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。』

このことばを、イスラエルの預言者イザヤは、イエス・キリスト誕生の約700年前に預言しました。イエス・キリストの呼び名の一つが"平和の君"です。人類の誕生以来、多くの人々が平和を待ち望み続けてきましたが、実現していません。戦争の世紀と呼ばれた20世紀が終わっても、平和はやって来ませんでした。その原因は、人の心にある悪い思い、罪です。イラク、アフガニスタン、アフリカの国々と、戦争はいよいよ激しくなっています。その背後に、人の心の罪に働きかける悪魔の存在があります。

イエス・キリストは、世界のすべての統治者となるお方です。悪魔はこのお方を抹殺しようとして、この世の権力者を動かしました。当時ユダヤの地を治めていたヘロデ大王は、救い主であり、王となられるイエスを恐れ、亡き者にするためその誕生の地ベツレヘム周辺の2歳以下の幼子をすべて虐殺しました。聖書はイエスとその両親が神に教えられて、その前にエジプトに逃避したと伝えています。神と悪魔の激しい争いの記述です。

そして悪魔は、今も神に反抗して激しい争いを引き起こしています。神を冒涜する書物、雑誌、テレビ番組、映像が世に溢れています。けれども、本当の救いはイエス・キリストにあります。クリスマスは"良き知らせ、福音"が初めてこの世に伝えられた時です。平和の君であるキリストの御名がこの時期に崇められることを願います。

平和の君イエス・キリスト

デイビッドはダビデ

欧米には、デイビッドという名の男性がたくさんおられます。デイビッドは聖書に出てくるダビデ(へブル語)と言う名前と同じであることをご存知でしょうか。ダビデは、神を信じる羊飼いの少年から、イスラエル王国二代目の王となった人です。イエス・キリストご自身が『わたしはダビデの根、また子孫…』と言われるほど、神に愛された人です。聖書には、ダビデのことが次のように書かれています。
『その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。』このすばらしいダビデのようになるようにと両親はデイビッドと名づけるのでしょう。ダビデの他にも、聖書から取られている名前はたくさんあります。ジョン=ヨハネ、ポール=パウロ、マーク=マルコ、スティーブン=ステパノなどです。これらの聖書の人物のようにという両親の愛と願いの表れなのでしょう。

デイビッドはダビデ

異常気象

近年、日本にやってくる台風やアメリカを襲うハリケーンが大型化しています。これは、地球の気温が上昇する地球温暖化が原因となる異常気象の一つではないかと言われています。
地球温暖化とは、大気中の二酸化炭素などの濃度が高まることで、地表からの熱の放出が抑えられ地球全体の温度が上昇する現象です。この地球温暖化により、動植物の絶滅、海面の上昇、異常気象などが予測されます。
例えば、100年後には海面が最大で1m上昇すると言われていますが、そうなると、太平洋やインド洋のある島々は水没してしまいます。聖書には『(世の終わりには)地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み…』とあります。このことが、海面上昇や異常気象を指しているとするなら、まさに世の終わりとキリストがもう一度やって来られる日が近いのです。

異常気象

ヤコブの井戸

「もう遠くまで水を汲みに行かなくていいわ」と新しく完成した井戸とポンプの前でカンボジアの可愛い少女が微笑んでいます。この写真は日本飢餓対策機構(世界の飢餓の問題に取り組む団体)のニュースレターの今年の五月号の表紙になっています。昔も今も、多くの国で、水汲みは女性と子どもにとってつらい仕事であることに変わりはありません。

イエス・キリストの時代、サマリヤ地方のスカルの町にあった"ヤコブの井戸"にまつわる話があります。この井戸は当時、直径2.3m、深さは70mもあったといわれており、現在では観光スポットになっています。この井戸のかたわらにイエス・キリストが旅の疲れで腰を下ろしておられると、一人の女性が水瓶を抱えてやって来ました。「私に水を飲ませてください」と、イエスは声をかけられました。イエス・キリストは、この女性の悲しい過去、心の飢え渇きに目を留め、寄り添い静かに語りかけられました。この女性は心を開き、決して渇くことのない"永遠のいのちの水"を得ることができたのです。

ヤコブの井戸

タラントを生かそう

イエス・キリストが話された例え話の中に、"タラントの教え"があります。「あるお金持がしもべたちを呼び、5タラント、2タラント、1タラントを預けて旅にでかけました。よほどたって帰ってきて清算をします。それぞれに預かったお金をもとでにして、もうけたしもべは、主人の賞賛を受け、主人を恐れて地の中に1タラントを隠しておいたしもべは、主人の怒りを買いました。」

ここで言うタラントとは、当時の通貨の単位ですが、タラントとは英語で才能・能力という意味があります。日本では芸能人のことをタレントと言ったりしますね。あなたのタラントは何でしょうか。神様はどんな人にもすばらしいタラント(賜物)を与えておられます。手先が器用、歌が好き、スポーツ万能、お話し上手…あなたは自分の賜物をどのように使っておられますか。自分のためだけですか。他者のために生かしておられますか。神様は後者のような人を喜んでくださるのです。

タラントを生かそう

聖書は、宇宙についてどう言っているか

幾世紀もの間、人は空の星の数は千余りだと信じていました。しかし、聖書に出て来る預言者エレミヤは、『天の万象が数えきれず、海の砂が量れないように、…』と語り、現代の科学者と同じように、宇宙の星は無数にあると知っていました。
3000年以上も前に生きていたヨブという人は、同時代の学者たちが"地が大海を泳ぐ亀の上に乗る"とか"象の背中に支えられている"と信じていた時に、『神は…地を何もない上に掛けられる。』と語り、地球が何もない宇宙空間に浮かんでいると知っていました。更に、イエス・キリストは、ご自身がもう一度この世に来られる時について、『その夜、同じ寝台で男がふたり寝ていると、…ふたりの男が畑にいると…』と語られ、地球上で同時に夜と昼があり、地球が球であることを示されました。

このように聖書は人の考えを越えて、真実を伝えているのです。

聖書は、宇宙についてどう言っているか

クリスマス・キャロル

"クリスマス・キャロル"という言葉を聞かれたことがありますか。すぐにディケンズの有名な短編を思いうかべる方もおられるでしょう。

"キャロル"とは、中世イギリスの宗教的歌曲のことで、クリスマスをはじめ、キリスト教の諸行事(祝日)に歌われていました。最近では、クリスマス・キャロルは、クリスマスの讃美歌と同じ意味で使われています。讃美歌は、キリスト教の礼拝の中で神様をほめたたえるために歌われました。はじめは聖書のなかの一節に音階をつけて歌われていましたが、さまざまな音楽の要素を取り込んで発展していきました。

今年のクリスマスは、教会で、また家庭で静かに讃美歌に耳を傾けてみられませんか。

クリスマス・キャロル

地球以外に生命はいるのか

地球は生命豊かな星です。なぜでしょうか。適度な温度、水、空気の存在のためです。これらは、地球が太陽系の惑星であることによります。しかし、地球の隣の惑星に目をむけますと、金星は激しい高温の世界ですし、火星は逆にきびしい低温の世界で、どちらも生命の存在は疑問です。まして、人間のような高度な生命の生存は不可能です。次に、太陽系の外に目を向けますと、そこには恒星と惑星がありますが、自ら輝く恒星は超高温で論外です。惑星については、現在の望遠鏡では、太陽系以外の惑星があまりに遠方にあるため見ることはほとんど不可能です。ですから、地球以外に生命が存在するという証拠は、今ありません。

このように考えると、この地球に人間が存在していること自体、奇蹟だと言えるでしょう。神は、目的をもって人間と全生物をこの地上に造られたと聖書は言っています。

地球以外に生命はいるのか

落ち穂拾い

ミレーの「落穂拾い」の絵はあまりにも有名です。ミレーは、積み藁を背後に、落ちた穂を拾っている三人の女性を描いています。地主が刈り取らせた麦は積み藁として描かれ、貧しい農民は、取りこぼされた穂を集めています。この頃のフランスでは、地主は落穂を拾う者のためにわざと麦を取りこぼさなければならないという約束事があったようです。

旧約聖書の中の「ルツ記」にもこのような話があります。

夫に先立たれたルツは、姑ナオミに仕えることを決意して夫の故郷ベツレヘムに帰り、裕福な親戚であるボアズの畑で、落穂を拾って生活するようになります。

神様は、苦境にあっても神と人に徹底的に従ったルツを祝福されます。やがてルツは、ボアズと結婚し、ダビデ王が二人の子孫として誕生することになるのです。

落ち穂拾い

殺してはならない

数年前に出版された「なぜ人を殺してはいけないのですか」という書籍のタイトルから、いろいろと考えさせられました。こんなことは常識だと誰もが思いますが、ではなぜいけないのかと聞かれれば、ほとんどの人が答えられないのではないでしょうか。決め事は、その理由がわからないなら破っても問題がないように思う人もあるかもしれません。その結果、他者のいのちを奪ったり自らのいのちを絶ったりする人々が後を絶ちません。

創造主なる神は、人に10の戒め(十戒)を与えられました。その一つが「殺してはならない」です。一人一人が、神が造られた最高傑作だからです。いのちは神の作品です。人がそれをわがものにしている所に、3万人を越える自殺者を生み出す現代日本の問題があります。

殺してはならない

ボーンアゲイン

イエス・キリストのご生涯の内、特に十字架での死と復活を描いた"パッション"という映画が話題を呼びました。私財を投じてこの映画を制作した監督のメル・ギブソンは、ボーンアゲイン(born again)したクリスチャンであると言われています。
ボーンアゲインとは、新しく生まれるとか、新生するという意味で、罪人が霊的に変えられ、信仰によって神に応答するようにされることを意味します。聖書は『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』と言います。
全ての人は心の中に罪を持っており、罪を持つ人間は神の霊、聖霊によってもう一度生まれ変わらなければ、神のもとに行くことができないと言っているのです。メル・ギブソンも、うつ病やアルコール依存症を神によっていやされ、キリストへの固い信仰を持つようになりました。 彼はボーンアゲインしたのです。

ボーンアゲイン