チャーチオブクライスト ニュージーランド日本 | 大阪教会

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Oh! Happy Day・体験談

 

弱さのうちに働かれる神様 中尾心(会社員)

 私は両親がクリスチャンで、幼い頃から当たり前のように教会に通い、それが生活の一部になっていました。そして聖書に書かれていることは私にとって「いつも聞いて知っている話」でした。しかしある時、教会で何度も聞いていたはずの「イエス・キリストはあなたの罪のために死なれ、よみがえられた。」という言葉を聞き、神様が私自身に語っておられる言葉だと分かりました。聖書の中に『すべての人は罪を犯し』たとあります。それまで日常生活で罪について深く意識することはあまりありませんでしたが、その時初めて、私は罪深い人間であることがわかり、イエス・キリストが私の罪を赦すために十字架に架かられたことを信じることができました。それから生活が一変したわけではありませんが、イエス・キリストはいつも私とともにいて、困難な時や苦しい時には励ましてくださり、私が間違った道に進もうとした時には「それは間違っているよ。」と心の中に語りかけてくださいます。
 私は軟骨無形成症という病気で、手足が短く特別な体型ですが、神様はいつも私の周りに素晴らしい人々や環境を備えてくださり、全く気にすることなく生活ができるようにしてくださっています。そしてこの病により、他の人の苦しみが少しでも分かるようにしてくださっていると思います。時には悲しい思いをすることもありますが、聖書の中で神様は『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』と言われているので、目的があって私をこのような体形にされたのだと思います。『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。』と言ってくださる神様に感謝しています。

聖書を土台として 渡辺神徳 光恵

神徳 『はじめに神が天と地を創造された。』と聖書は語っています。私がこの言葉に出会ったのは、38年前の40歳の時です。それまで世の中の出来事やその対応にどっぷりと浸かっていたわけですから、クリスチャンと呼ばれる生き方からは程遠いものでした。罪からの救いが大切であることも自覚できませんでした。多くのクリスチャンが言われるように、「驚くばかりの恵みを受けた」ということも分かりませんでした。挫折や這い上がりの繰り返しで、イエス様に手を伸ばす日々だったと思っていました。しかし、それはとんでもないことでした。イエス様が私をその懐の中に、引き寄せてくださっていたことを知りました。80歳近い今、体力の衰えや病気を持つ日々でも、実に平安と喜びで、心を満たしてくださっているお方、イエス様がおられる。これぞ私の救いの実です。

光恵 自分の至らなさから失敗を繰り返し悩んでいた頃、興味本位で行った教会はとても神聖でした。これまでに体験したことのない雰囲気を感じ、重ねていくたびに、「私も聖くなりたい。新しく生まれ変わって天国に行きたい。」という思いになり、今までの生活に回れ右をして、イエス・キリストを私の救い主と信じる決心をしました。その夜の帰り道のことです。車から降りると、何と家の前が日中のように明るく、そこには無いはずのお花畑が一面にあり輝いていたのです。まるで天国のようでした。これは38年前に起こった本当の出来事で、今でも鮮明に覚えています。それからも、パーフェクトな毎日を送っているわけではありませんが、いつも神様に祈り求めるときに助けがあり、平安に満たされています。これからも家族と共に、聖書を土台として歩んで行きたいと思っています。『平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。』(聖書)