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2025/03/09
ほっとひと息『生と死』

大手前病院の8階に、義理の姉は手にチューブを差し込まれたまま横たわっていました。時々声を発しますが、意味不明です。義姉は、私たち夫婦が佐竹台に引っ越して来て最初のお客さんでした。私は、義姉の手を握りながら、大きな声ではありませんが、「私たちが罪人であること、イエス・キリストが私たちの罪の代価を支払うため身代わりになって死なれたこと、そして三日目によみがえられたこと。それ故、そのことを信じる者は、罪が赦され永遠に生きる希望があること」を話し、祈りました。どれだけ伝わったのかわかりませんが、祈ることができたことを神様に感謝しました。
私は両親の最期に立ち会うことができませんでした。父の時は、前日も元気で、通院も考えていたほどだったので安心して別れたのですが、翌日の朝、急性肺炎になり危ないとの連絡が入り驚きました。急いで駆けつけましたが、既に亡くなっていました。残念でなりませんでした。母の場合も、前日の夜は元気だったのに翌日急変し、駆けつけましたが間にあいませんでした。両親共、イエス・キリストを信じるという意思表示を聞くことができませんでした。
人は生きる、その後に必ず死ぬということがわかっていても、そのことを横において生きているのではないでしょうか。『ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、すべての悪口を捨てて、・・・』と、聖書にあります。私はどうでしょうか。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(聖書・ヨハネの福音書3章16節)
私は両親の最期に立ち会うことができませんでした。父の時は、前日も元気で、通院も考えていたほどだったので安心して別れたのですが、翌日の朝、急性肺炎になり危ないとの連絡が入り驚きました。急いで駆けつけましたが、既に亡くなっていました。残念でなりませんでした。母の場合も、前日の夜は元気だったのに翌日急変し、駆けつけましたが間にあいませんでした。両親共、イエス・キリストを信じるという意思表示を聞くことができませんでした。
人は生きる、その後に必ず死ぬということがわかっていても、そのことを横において生きているのではないでしょうか。『ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、すべての悪口を捨てて、・・・』と、聖書にあります。私はどうでしょうか。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(聖書・ヨハネの福音書3章16節)

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