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2025/10/05

ほっとひと息​​『日々の備え』

 9月1日は、関東大震災が発生した日です。その教訓を忘れずに災害に備えるため、この日は「防災の日」と定められています。さらに9月は台風や大雨など自然災害が起こりやすい時季でもあることから、「防災の月」として各地でさまざまな防災イベントが行われていて、私も先日、その一つに参加しました。
 そのイベントは、災害時によく起こる五つの場面を想定し、対応の正確さやスピードを競うというものでした。五つのうち三つは「瓦礫の中からの救助」「けが人への応急処置」「トリアージ」と、医療に関わる内容でした。医療に少し関係する仕事をしている私は、「この三つなら大丈夫だろう」と気軽に臨んだのですが、結果は思ったほど簡単ではありませんでした。瓦礫を取り除いて救助することはできても、救急隊が到着するまでどのように処置すればよいのか、骨折や出血がある人への応急手当は何が最適なのかなど、現場で必要な対応がほとんど分からなかったのです。
 災害が起きたとき、公的な救援が到着するまでの「自助」や「共助」はとても重要です。怪我をした人への応急処置は、その場にいる人が行わなければなりません。事前の備えこそが命を守る鍵だと痛感した一日でした。
 さて、このように防災の大切さを理解している人は多いと思います。けれども、私たちに必ず訪れる「死」への備えはどうでしょうか。死は誰にでも平等に訪れますが、きちんと心の備えをしている人は少ないかもしれません。「死」に対して漠然とした不安だけを抱えているのであれば、それは備えが十分ではない、ということができるのではないでしょうか。
聖書は、神と共に歩む人生には死を越えた希望があると語っています。イエス・キリストを救い主として信じることで、本当の意味での希望と平安が与えられると約束しているのです。
 イエスご自身もこう語られました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)
私はこの言葉を心から信じています。あなたも、聖書が語るこの希望について、そして備えについて、一度考えてみられませんか。

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