大阪教会について
ご挨拶
牧師 髙田義三
ニュージーランド大阪教会は、聖書を土台とするプロテスタントの教会です。
1965年5月16日、日曜日の朝、大阪の中之島にあります中央公会堂の一番小さな一室で、初めての礼拝をもったのが始まりです。
私は、大学生の時に友人と二人で世界旅行を計画。家族の反対を押し切って神戸港から貨物船に乗せてもらって出発しました。大海原をひたすら南に進んで18日間、双眼鏡の中に、陸地が見え、車が動いているのを見た時の感動は今も忘れられません。
最初の寄港地はニュージーランドのオークランド港でした。ようやく陸地に立った私たちに声をかけて来てくれたのは一人の青年でした。「エーガ、エーガ」という日本語?に誘われるままに行った所が、今の私たちの母教会となる「チャーチ オブ クライスト ニュージーランド 」というキリストの教会でした。
教会の長老の一人は、どこの馬の骨かもわからない私たちを自宅に招き入れ、家族の一員のように愛し、受け入れ、サポートしてくださいました。そこで体験したのは、神の愛に裏打ちされた温かい交わりでした。
いただいた聖書を読み進める中で、私の心を打ったひとつのことばがありました。それは、
『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』(ヨハネの福音書14:6)
というイエス・キリストのおことばでした。英語では、「道・真理・いのち」という言葉には「唯一無二のもの」を表す「The」という定冠詞がついていました。つまり、「わたし(イエス・キリスト)こそが、道、真理、いのちだ!」と宣言されているのです。
『すべての人は、罪を犯した…。』 (ローマ人への手紙3:23)ということばもよくわかりました。自分が罪人であることは誰に言われずとも自分が一番よく知っていました。やがて私は、自分が求めていたものがここにあるのではないかと考えるようになりました。
13才の時、私の父親は医者の誤診で一晩で亡くなってしまいました。尊敬し頼り切っていた父親が突然いなくなったことを受け入れることができず、私は以降、人生の長いトンネルに入り込むことになります。生きる目的も土台も無いまま、何かを見つけたい一心で、世界旅行の計画を実行に移しました。しかし、その最初の寄港地で神は私を捕えてくださいました。こうして、私はイエス・キリストを私個人の救い主として心に迎える決断をしたのです。
次の訪問国へ行く準備をしながらも、神は私をある方向に導いておられました。それは私の願いとは異なるものであったばかりか、私に大きな方向転換を迫るものでした。誰かから勧められたり強いられたわけではなかったのですが、それは紛れもなく神ご自身からの語りかけであり、チャレンジでした。
数々の葛藤を経て、私は『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネの福音書3:16)という聖書のことばに出会い、とうとう自分の計画も自分自身もすべて神に委ねる決断をしました。
世界旅行の計画も神に明け渡しました。私たちを援助して来てくれた人々、大使館の職員の人々からも「そんなことで、君たちの計画を棄てるな!」と言われました。しかし、それは、私に永遠のいのちを与えるために、御子をさえ惜しまずに与えてくださった神の愛へのささやかな応答でした。
私は、この唯一の救い主イエス・キリストを、日本にいる家族や友人、仲間…に、是非知らせなければ!との思いで、すべての計画をキャンセルして、日本に帰国することにしました。
多くの友人や知人たちは、私の路線変更を理解できず、怒る者、嘲笑する者、中には「頭がおかしくなった」と言う者もいました。
私は頭がおかしくなったのではなく、私の内側が全く造り変えられたのです。そして、気がつけば、長かったトンネルから抜け出ていました。
「私たちがこの地上で体験できる奇跡――それは、イエス・キリストの十字架の贖いによって罪が赦され、神の子とされることだ!」と言われた長老の言葉を私はよく覚えています。
『神は愛です。』(ヨハネの手紙 第一4:16)
『この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も人間に与えられていないからです。』(使徒の働き4:12)
愛の神が、私たち罪人に贈られた神のひとり子イエス・キリストこそ唯一の救い主です。
このウェブサイトを通しても、訪れてくださった方々がイエス・キリストに出会ってくださり、永遠のいのちをご自分のものとされて、新しい希望の人生を送られることを願って止みません。
お読みくださって有難うございました。
神さまのご祝福をお祈りいたします。
ニュージーランド大阪教会
牧師 髙田義三